Pocket

目が覚めた時は確か、イラン上空だったと思う。

窓側の席だったので、砂漠の山が綺麗に見えた。

機内食の朝ご飯を食べ、ドバイに到着。朝5時ごろだったと思う。

ドバイ国際空港

乗り換えのための身体検査と税関を終え、機内でsimを差し替えておいたSimフリーのiPhoneにつなげて使用するが、現地の携帯会社の電波は食うものの、3Gが繋がらない。

色々見直したが、どうやらドバイは購入したsimの範囲外だったようで、空港のトロいwifiでトランジットの5時間を過ごした。

ドバイ空港で開いたTwitter。トレンドが全部アラビア文字で面白かった。

適当に歩き回り、時間を潰した。

ここでLINEのトークのバックアップを失敗し、返信できない友人や知人もいた。

10時前の飛行機でドバイからミラノへ。

こちらでも機内食が朝、昼と出た。

朝は何やらパイ、昼は普通にランチ。

ドバイ行きでは魚を選択したため、ミラノ行きではチキンを選択。

うまかった。

そういえば、カップに入ったスタイルの水は初めて飲んだ。

機内でボヘミアンラプソディとスタートレック・ビヨンドをハシゴし、14:20、ついにイタリア・ミラノへ到着。

そもそもこの旅、最初はブカレストから入って北上して行くつもりだったのだが、以前からLINEをしている、近くの町トリノに住むイタリア人の友達がミラノのマルペンサ空港まで迎えに来てくれて、ミラノ、フィレンツェの観光案内をしてくれる…

はずだった。

台湾に住んでたとは言え、初ヨーロッパ、初海外旅行。

不安の解消と慣れるまでのアシストをしてくれるというので、渡りに船と乗る事にした。

ところが。

前日、空港でLINEしていたら

「ごめん、お金無くて行けないの、ごめん」

途方に暮れたのは言うまでもない。

まさかの「前日に」「金欠で」ドタキャンを食らったのである。

ツテもなく、迎えも無く、根無し草でかつてないほどの不安に襲われながらイタリアに向かう羽目になった。

イタリア自体は行きたかったが、そもそもイタリアそのものにそんなに興味がなかった僕は、旅の中盤、慣れてきた頃に適当に回って終わるつもりだったのだが…

致し方なく、空港で市内までのバスチケットを買い、行き当たりばったりで旅を始めた。

バス車内

それでも、迎えはできなかったが翌日にミラノまで来てミラノの観光案内はしてくれる、という。

とりあえずミラノ中央駅に着。空港からは確か1時間くらいだった。

巨大な石造りの駅舎は、駅というよりほとんど遺跡で、中は新しいだけに外とのギャップが可笑しかった。

イタリアの治安について多少調べてきた僕は、それはもう最大級に警戒していた。

日本にいるときにアマゾンで買った40LのPCバッグ。防刃、防水。さらにファスナーを勝手に開けられないよう、メインのファスナー二つには4桁のダイヤル式TSAロックを付けていた。

そして、メインで着ていたパーカーは、ポケットにファスナーがあり、右にスマホと見せ金に札何枚かとコインを入れた財布(パクられてもいいように100均で買った)。

出かけるときとパスポートなどが入ったボディバッグは前に装備し、ここにパスポートとカード一枚を入れた。

さらに、服の下に隠しているシークレットベルトにメイン以外のカードを入れた財布を入れていた。

何があるかわからない。備えあれば憂いなし、と思っている。

とりあえず駅からは歩いてホステルへ。少し遠いが基本的に一本道で、途中、ミラノのファッションストリートもあったことから、ウインドウショッピングで楽しんで宿に向かうことができた。

しばし探して

宿のあるビルに着。外のインターフォンで着いたことを告げる。

中からオーナーが出てきてくれて、3階のホステルまで連れて行ってくれた。

しかし、そのときに乗ったエレベーターに、いたく感動してしまった。

エレベーターと言えば電動で、無機質なあれのイメージだろうし、僕自身もそのタイプ以外、乗った事はない。

しかし、ここは…

扉が二つ。呼び出しボタン押すと、上から降りてくる。

まるでバイオハザードのラクーンシティに出てくるエレベーターである。

バイオ1の洋館にこんなのあった気がする

ていうか、それそのものであった。

いたく感動している僕に、不思議そうな顔をして館内を案内してくれた。確か一泊3000円程。シャワー/トイレルームは二個、ドミトリーには5人ほどいたと思う。ドミトリーは二段ベッドもあれば横並びにベッドがある所もあるし、カプセルホテルに近い形のもある。

ここはベッドが並べられたスタイルであった。

少し一休みしたら街に出かけるか…と思って横になったのだが、自分でも自覚がないほど疲れていたのだろう。

起き上がれない

ベッドから起き上がれないのである。

横たわったのが確か16時ごろ。

そのまま、朝の5時までそこから動けなかった。飯も食わず、風呂も入らず、である。

そんな初日であった。